苦しさを和らげるもの(3)

 山登りの苦しさから逃れるために、私は写真撮影を口実にする。さほどそそられたわけでもないのに絶景ポイントでもあるかのように一言呟いたりしながら足を止め、ザックの左肩バンドにくくりつけたカメラケースからデジカメを取り出してシャッターを切る。後で削除するだろうなと思いながらただ休みたい一心で液晶画面を見ているときもある。そして我ながら感心するのはその程度の休みで苦しさが嘘のように消えてしまうことである。
 景色を撮る。花や木を撮る。同行者のスナップを撮る。撮った写真はその日の山行記録としてA4一枚にレイアウトして後日みんなに上げているから写真を撮っていても誰も「また休みやがって」などと思わない(はずだ)。30枚くらい撮って使うのは3分の一くらい。後で削除できるし、無駄な現像をしなくていいからデジカメは本当に便利だ。でも、デジカメを発明した人も、登山の苦しさを和らげるために役立つとは思わなかったろうと思う。
 今年一年の山行記録写真集を見ていると結構いい写真がある。どちらかと言うと苦しさから逃れるために撮った写真の方がいい場合がある。きっと写真を撮る行為に邪念はあるが、被写体やアングル、シャッターチャンスに、上手く撮ろうなどと言う邪念が無いからだろう。
 山納めとなった七飯岳の山行写真を人数分プリントアウトし終えた。自分のファイルに綴じながらこの一年を写真で振り返った。そこからよみがえる苦しさはさほどではない。