苦しさを和らげるもの(七飯岳)序

 城岱スカイラインの車道を往復する計画で集まったが、雪の積もり具合から予定を変更して石切り場コースからの登山ルートで登ることにした。
 七飯岳頂上直下の大斜面につながる大きな尾根はほとんど削り取られてしまっている。広いゲレンデのような道をダンプが通り、大型の作業車がうなりを上げている傍を小さくなって通らせてもらう。春、蕗の薹を採らせてもらった斜面もぎりぎりまでショベルの大きな爪痕が迫っている。残された根元部分の尾根に取り付き背中で作業音を聞くようになるとようやく登山気分になってくる。
 麓の方はうっすらだった雪が、少し深くなってくると埋まる、滑る、バランスを崩すなどロスの多い歩きになってくる。当然疲れる。頂上に続く大斜面手前の壁のような樹間の道は苦しさが歩こうという気持を奪う。なぜ登るんだろう。なぜ停まらないんだろう。平坦な所へ行けばすぐ忘れてしまうようなくだらない疑問だけを反芻しながら登り続ける。
 Yaさんが新聞の俳句欄に教員退職者が多いと言う話題を出してきた。その後「どんな俳句がいいの?」「頭でこねくり回した句は撰に入らないみたい」「毎日つくっているの?」「ノルマにしなければ作らなくなるから最低二句は…」などと話していたら目の上が明るくなり、牧場斜面に出てしまった。Yaさんの話に乗せられて話している間は苦しいことを忘れて歩いていた。
 頂上に続く三角形の大斜面は吹きさらしで寒い。ヤッケを着た。頂上を見た。大きな三角錐が天を刺している。その真ん中を直登する。これが苦しい。下から見るほど長い時間はかからないが、柔らかい雪に足をとられて登るのは尻の筋肉が絞られるように苦しい。さっきの俳句の話のように何かに気をとられれば苦しさを考えなくて澄む。ようし、それを考えてこの直登をのりきろう。
 登りの苦しさを和らげるものその〓は…(つづく)