「なかむら」埼玉県与野市

 娘二人が新たに居を構えたのが、さいたま市与野本町。東京の蕎麦を食いがてら、引越しを手伝いに行った。止まるところもあり、手伝いと言う大義名分もあるので気が楽だ。そのアパートの近くに「なかむら」という手打ちの蕎麦屋をみつけた。切り出したままのような板に、墨で書いた店名がもう薄くなっている。店構えに店主のこだわりも少し感じる。引越し蕎麦にしようと家族で入ってみた。木で山小屋風に作ってある。10人くらい座れる寄り合い席と、4人掛けの卓が二つある。椅子は輪切りにした丸太が黒く塗られている。備前焼がすきなのか、壷や鉢が飾られている。
 メニューには、もり蕎麦、鴨せいろ、鴨南蛮しかない。かけそばがメニューにない店は、だいたいそばにあるこだわりを持っている場合が多い。こだわりを押し付けられるのはかなわないが、こだわる人は蕎麦に対して一生懸命だと言うことの裏返しでもあるから期待できる。
 私は鴨南蛮を食べることにした。やはり、備前焼の器に盛られて蕎麦が出てきた。口を近づけると、鴨肉の香り、だし、醤油の香りに混じって蕎麦の香りがしっかり鼻をくすぐる。
だれがこの組み合わせに気づいたんだろう。蕎麦の種物は、鴨と蕎麦の組み合わせに限る。
口に入れると、蕎麦の舌触り、喉越しが楽しい。歯ごたえがしっかりしている田舎蕎麦である。手切りを証明するかのように幅広の切れ端が入っている。娘たちや妻のそばにも混じっている。江戸蕎麦の老舗などではできない演出だろう。
 娘たちが引っ越してでも来ない限り絶対入ることのなかった店だ。でもうまい。そろそろ名店情報を基にした「たかされ探し」をやめなければならないかもしれない。こんなところにこんなにうまい蕎麦屋がある。重めの蕎麦湯を丼に入れて汁も美味しくいただいた。三日後裏を返した。その時は盛り蕎麦を食った。かけそばができないか聞いてみた。「えっ」と
聞き返された。密かに、娘たちのアパートを拠点に東京の蕎麦屋めぐりをしてみたいと思っている。娘たちは迷惑かもしれないが…そのときの「なかむら」の蕎麦も楽しみの一つになった。