「富蔵食堂」(2)飯山市

takasare2005-11-14

 やっとこさという感じで立ち上がると障子を開けて隣の台所へ行った。そこには農家の台所とは思えないステンレスの調理台が見えた。やはり、生活の場そのままでは客商売は難しいのだろう。私のそば食いに囲炉裏、かまど、藁葺き屋根などというの田舎趣味、ノスタルジー趣味はない。ステンレスの調理台が必要な程客があると言うことなのだろうと思った。その時に多少チグハグでもこの山奥の農家にステンレスの調理台を置くと言う素朴な考え方に共感が持てた。そこからは、たくわん、フキの佃煮、わらびのおひたし、ふき、アスパラガスの漬け物が運ばれて来た。どれもこれも手作りの美味しさが溢れていたが、アスパラの漬け物が珍しく言葉にしたら、ばあさんが喜んでくれた。
 「近くの県の人が車で来てけるんだ。」「九州の人も北海道の人も来るよ」「お客さんの前に来た女の人も山梨の人だったよ」「(5月の)連休は忙しくて疲れた」「年とって来たらたくさん来てくれるのも(いいけど)疲れる」「子どもや孫も手伝ってくれるけれど、もっと(私が)若かったら楽しくできるのに」「食道にポリープができて手術してるし」と言いながらまた座ぶとんに体をあずけ、それども間をおかず話している。「病後だから体が疲れるんだ」と思いいたった。元気だったばあさんを想像したら、びっちり話しを聞かされただろうなと思った。
 台所で亭主が作っていたらしく、ばあさんが蕎麦を運んで来てくれた。安物のせいろに少し多めの盛り、徳利に蕎麦猪口、刻みねぎ、そして市販のチューブに入ったわさび。徳利の中のたれも甘め。山ごぼうの葉の繊維をつなぎとしたいわゆる富蔵蕎麦、いわゆる幻の蕎麦を口に入れた。ごぼうの味や香りがするのかなと思ったが、それは感じなかった。つなぎの力が弱いのか切れやすいが、蕎麦の味はちゃんとする。へぎ蕎麦のようにつながり過ぎてうどんのような蕎麦よりはいい。信越の山の中の民家というシュチエーションモそうだが、このばあさんの人柄が脚を投げ出してゆっくりできる蕎麦食いの空間をつくり出しているのだろうと思った。全部含めてこの幻の蕎麦は美味しかった。
 北海道に帰ったら「富蔵の蕎麦が美味しかったって宣伝しておくよ」と言ったら「そうやって来てくれる人を励みにもう少しがんばるよ」と言っていた。帰り際、アスパラふた束ほど出して、「これ家で採れたやつだけど持って行け」と言ってくれた。車で寝泊まりしている旅の途中で、もらってもダメにするだけだからと気持ちだけもらって辞した。自分で障子を開けて自分で閉めて。
 車に乗る前、周りの景色を観た。本当に山の中である。