老鶯
汗だくになりながら夏の山をあえぎ登っていると少しのことに癒される。先日の山では、カワラナデシコであったり、アザミだったり鳥の声だったりする。癒されるというより一瞬苦痛を忘れさせてくれることだけだがそのことで四〜五歩は知らぬ間に進んでしまうこともたしかだ。
炎天やほむらのごとく峰の立つ 未曉
その逆のこともある。頂上直下の肩のようなところに差し掛かると、そこを頂上だと思ってしまったりすることがある。いわゆる偽ピークである。疲れていると偽ピークを山頂と思いたくなる。誰に確かめるでもなく勝手に思い込んで張り切って登って、そこに顔を出すと、本峰はまだ向こうの高みに聳えているのである。がっかりである。そんなときに美しい鶯の声を聞くと、美しければ美しいほど小馬鹿にされたような気がしてしまう。
老鶯の声に待たるる偽ピーク 未曉