青田

    青田より青田へ峡をつなぐ陸奥   未曉
 岩手遠野へ大学時代の先生を十七人の教え子が訪ねる旅をした。訪ねる教え子が60歳半ばから80歳までいるのだから訪われる先生は93歳になる。退官後郷里の遠野へ帰り、実家のお寺を継いで今は袈裟を着ている。すこぶる元気で、朝晩のお勤めはもちろん、腕立て伏せをしたり器具を使ったりして体力の現状維持を心掛け、法話のためにいろんな本を読み、頭の運動のために文語の書物を声に出して諳んじることを課しているという。
 本堂で先生の「正信偈」を聞き、その後先生とともに遠野、花巻を一泊二日小型の貸し切りバスでめぐりながらそれぞれが学生時代に戻っていた。先生の体力に偽りはなく我々と一緒に山道を歩き階段を上り、そして降りていた。一緒に入った風呂で見た背中は皺一つなく艶やかで湯を弾いていた。夕食の後、部屋での飲み会でも10時過ぎまで大きな声で年齢を超えて話していた。
     梅雨入りして遠野に「むがぁしあったずもな」  未曉
 翌日先生は遠野へ、我々は盛岡駅東和町の土沢駅で先生と別れた。その駅頭で声高らかに流麗な文語調を聞かせてくれた。それが「曽根崎心中」というのだからおそれいる。
 先生のお寺の裏は藤の大木古木を中心に鬱蒼とした森になっている。遠野物語の一つか二つはここで生まれたのではないかと思えるほどの雰囲気だった。今回の旅で「もっと居たかった」場所だった。そこから裏山に続く径に倒木がありそれが全面苔むしていた。苔が木漏れ日に輝き小さな万緑の世界を見せていた。
     白寿へと恩師の歩み苔の花   未曉