投汁蕎麦

 年一回の家族旅行をしてきた。長女の計画で次女の居る東京を起点に長野金沢への旅になった。長女の計画は蕎麦好きの私の要望も入れてくれてうれしい旅になった。この旅で私は二つの蕎麦を食べようと思っていたからである。一つは信州の投汁蕎麦でもう一つは東京深大寺深大寺蕎麦である。
 投汁蕎麦は目の粗い小さな篭に柄の着いた投汁篭に蕎麦を入れ、それを山菜がたっぷり入った掛けつゆの鍋で温め、器に移した後そのつゆや山菜をかけて食べる食べ方の蕎麦である。蕎麦も美味しかったし、元もと祖母の作ってくれた掛け蕎麦を原点とする私の好みに合っていた。もちろん繁盛店の掘り炬燵席の立派なテーブルで食べるより、いろりの周りから投汁篭が伸びてくる食べ方が絵になるのは間違いが無い。蕎麦も太い田舎蕎麦の方が似合っているように思った。しかし、雰囲気よりも念願の食べ方を実際に体験できたことで蕎麦の経験が深まった。
 東京に戻って、明日は帰函と言う日、女性軍は街へ出るという。私は高尾山に登ることにしていた。京王線高尾山口への途中に深大寺調布市があるからである。その日は昼までに高尾山を降り、空腹を我慢して深大寺へ向かった。
 深大寺蕎麦という特別な蕎麦はなかった。
 深大寺蕎麦という幟や暖簾のそば屋さんはたくさんあったし、予め調べていったそば屋さんも行列ができていたほどだ。しかしその店は「美味しい手打ち蕎麦」を食べさせてくれたが今まで食べた「美味しい手打ち蕎麦」に比べて深大寺らしさはどこにもなかった。そこで、まさしく門前の江戸時代創業というそば屋さんにも入ってみた。ことさら手打ちを唄っているわけではなし、昔ながらのものがあるとすればここで外れはないだろうと食べさせてもらったが、麦粉の割合が少し多い感じの懐かしい蕎麦屋さんの蕎麦でしかなかった。食べ方にも薬味にも違いは無った。どうやら深大寺蕎麦は深大寺の側にあるからというだけの理由らしい。「なぁ〜んだ」という感じだ。そしてこの「なぁ〜だ」というあっけなさで私は私の蕎麦の旅が一区切り着いたような思いにとらわれたのである。