冬籠り

 先日行ったレストランにストーブが燃えていた。言葉遣いとしては間違っているが、この言葉のほうが暖かい。
レストランのストーブは北欧風の洒落たものだったが、私は子供の頃の懐かしい薪ストーブを思い出し、その前に座った父を思い出していた。茶の間の中央にストーブはあった。父の座はその焚口にありストーブの火の管理は誰も手が出せなかった。父の座に合わせて食卓が置かれ懇意の来客の座布団が敷かれた。くべる薪はストーブの側に置かれていなければならず、そこまでの薪運びが私の役割だった。父は家にいるときはそこを動かなかった。まるで冬のストーブの火を守ることが一家の主の唯一の仕事のように。去年こんな句ができた。
    ストーブが真中にありし我が昭和   未曉
 薪ストーブがいい。家の真ん中にあるのがいい。私が思い出した父は五十歳台の父だ。今の私でストーブをイメージすればこんな句になってしまう。
    冬籠る薪くべ続けくべ続け      未曉