東京オリンピック

 通常国会の所信演説の中で安倍首相は「やればできる。2020年の東京オリンピックパラリンピック。その舞台は東京にとどまらず、北海道から沖縄まで日本全体の祭典であります。」と宣うた。止めて欲しい。
個人的に反対だった東京オリンピック開催が本決まりになってしまった。そして「東京の人たちのことだ」と思っていたがこの発言で対岸の火事ではなくなった。
 首相だからと言って東京が決めたことを国中の人も同じ気持ちでいるなどと思うのは不遜もはなはだしい。「美しい日本を取り戻す」「経済再生」そして「オリンピックパラリンピックの日本開催の政権利用…」。きれいな泡に包まれているが、憲法改正そして戦争が出来る国土へ国民を釣り上げるための針が付いた餌のばらまきが首相として露骨である。
 私はスポーツが好きである。草サッカーから女子ジャンプまでジャンルを問わない。その楽しみ方も、自分でもプレイしてきたし、テレビ観戦まで範囲として許されるなら人後に落ちないスポーツ大好き人間であることを自負している。スポーツ馬鹿とも言われる。だから、世界のトップアスリートが競うオリンピックも大好きである。今いがみ合っている国の選手が試合後握手している姿など見ると、その平和性も大好きである。色々問題もあるが、民族を超え、人種を超え国境を超える力がスポーツやオリンピックにあると思っている。だからオリンピックは否定しない。
 私はイスタンブールに決まって欲しかった。アジアとヨーロッパの接点と言われてきた都市、中東、イスラム圏で初めて、紛争絶えないアラブにも近い等々その開催意義は大きいと思った。
 東京のオリンピック招致委員会は当初、「日本の子どもにスポーツの素晴らしさや感動を間近に見せてあげたい」と言っていたが、オリンピックの感動を心の糧にして欲しい子どもたちの多くは中東にこそいるのである。青臭い考えとは思いながらも「東京は辞退すべきだ」「IOCは文句なしにイスタンブールだろう」と自分の考えに自信を持っていた。
 東京に決定した瞬間のシーンを見せられるたびに、狂喜乱舞する人たちがスポーツを極めて政治的に利用する姿に見えて仕方がない。踊らされているスポーツ選手もいたように見えた。オリンピック精神から遠ざかるIOCにも失望した。
 政治的に利用されるスポーツ選手や愛好家をも「スポーツ馬鹿」という。安倍さん、私の住んでいるところにはオリンピックは要りません。オリンピックに感動を求めるだけの私までも「政治に利用されるスポーツ馬鹿」と言われそうですから…。