雑煮

     初句会の兼題「雑煮」、
 私の育った家は三が日朝は雑煮をいただいた。父や母が育った東北の習いだったのだろうが父はそれにこだわった。母も「全部用意できているから楽で良い」と言っていた。
 父がストーブで焼いた餅を、母が作ったすまし汁にあわせる。神棚、仏壇に上げみんなが順に手を合わせてからいただいていた。父だけは雑煮は後にしてみんなで回し飲んだ御神酒の残りから酒が始まるのが常だった。正月だから当然と言わんばかりにである。酒の前に物を食べない人だったからその後に雑煮を食べていた。
 元日はそれでいいが、二日になると朝の御神酒の延長が終わらない内に年始のお客さんが来てしまう。おもに父の部下の人たちだが来られる方も申し合わせたように、酒好きの人たちばかりであった。斯くして父の雑煮は後回しになり、延々と酒の宴が続くのである。ある人は帰り、ある人は寝てしまっている。しかし父はそこから「三が日は雑煮を食う」というこだわりを発揮する。酔っぱらっているからこだわりだけが先行して「雑煮を食うぞ」とは言うが、箸も満足に持てないし身体はぐらぐら揺れている。「最後までつきあいます」などといいながらまだ飲んでいる人が、「私にも奥さんの雑煮ごちそうして下さい」などというものだから、ますます食わねばならない雑煮になっていく。母も「食べた」ということにしなければ収まりがつかないし、酒宴も終わらない。なんとか食べさせようとするのである。だいたいは椀に浮いた三つ葉の口に入れたぐらいで終わりになった。
 酔っぱらってぐったり伸びてしまった父を部屋に寝かせ、すましじるの中でぐったり伸びてしまった雑煮餅を母が食べていた。
       酔ふたれど雑煮食わねば食わせねば   未曉