13/11/9・競馬場

 協会病院の大きな銀杏を横目にきれいな住宅が並ぶ中を路なりに歩く。出たくないと思いながらもはじき出されるように電車通りに出てしまう。人影が目だつ。路のあちこちに人が立っているし歩いている。場外馬券を買う人と不法駐車を見張る人達だと思い至る。
 競馬場前の明るい広場に出た。そういえば競馬場も一度も入ったことがない。この際だからと見学を思いついた。赤鉛筆こそ耳に挟んではいないが片手に競馬新聞を持ったいかにも常連らしい人の後ろから入り口を入った。小さいとはいえザックを背負った私のウオーキングスタイルはいかにも場違いだが、そんな他人のことを気にする人は誰もいない。みんな手元の競馬新聞を見ているか至る所にあるどこかの競馬場から送られてくるモニターの画面のオッズに釘付けである。京都でのレースが実況放送されているらしい。レースが終わるたびに配当金がアナウンスされるが声が挙がるわけでもないし話し声がするわけでもない。発券のアナウンスや、モニターからの音声が後を追うようにどこにいても聞こえる。それなのにそしてたくさんの人がいるのに静かである。不思議な空間でもある。図書館の静けさとはもちろんちがうが居心地は悪くない。たくさんいるのにそれぞれ自分の世界に入り込んでいるという点で図書館の雰囲気と似ているのかもしれない。暖房は効いているし一日ゆっくり過ごせるという意味でも図書館に似ている。千円くらいで一日楽しめる博才があればそれも悪くはないなどと出来もしないことを考えながら場内を一周した。
 馬のいないパドックをガラスの壁越しに見下ろす観客席に座ってみたり、外に出てダートコース際まで降りたり、観客スタンドの最上段から競馬場やその向こうの景色を見たり、ひとりだけ競馬と無関係な人間である。
 昔、正月友だちの家で徹夜麻雀が明けた朝、あまされたひとりが金杯を買いに行くという。麻雀に負けていたせいか勝っていたせいか忘れたが、千円預けて「2−7のカブで」と頼んだ。それが3万円になった。それから三年くらい金杯を買ったが当たるはずもない。ビギナーズラックの典型例である。麻雀も含めて私には博才はない。研究心も欠如しているし、賭けるときには賭けるという度胸もない。ポーカーフェイスなどどんな顔をしていいのかわからない。
 気が付いたら「でも、年末ジャンボの夢くらいは見ても…」などと、小春日和のスタンドの椅子でのんびりしてしまっていた。