彼岸。墓を拭き上げる。東山の函館市の墓地に当たっていながら父は辞退した。自分の死を現実視して受け入れられなかったのだろう。数年後あらためて民間の分譲墓地を購入し墓石を建て、秋の彼岸にあわせて長男と母の遺骨を納めた。そして一週間後急逝した。
 墓地の端まで数メートル歩くと東山からの函館市街が一望できる。
 父…秋田阿仁合で生まれ、樺太に渡る。給仕から樺太庁吏員となり36才で徴兵。敗戦後シベリアに抑留、復員して函館で引揚援護局に職を得た。引揚援護局の廃止に伴い、農林省函館統計調査事務所の公務員として転勤を断り続けて退職を迎えた。
 母…山形東田川で生まれ、警察官だった祖父と共に樺太豊原にわたる。豊原高等女学校を卒業後父と結婚。男ばかり四人を生む。父の出征、敗戦。同居していた祖母と四人の子どもを抱えて引き揚げの大苦労。長男をロシア兵の暴力に失いながら歌志内の叔父伯母の処で父の帰還を待った。父と共に家族で函館へ。
 共に若い頃は考えもしなかっただろう函館に眠る。
    秋彼岸街まるごとに合掌す   未曉