怒り 

晩霜の朝。寒い。被災地もさぞかしだろう。
 被災地に物資が届かない状況に自治体の長が怒っていた。空疎な感じがした。それは、誰もが被災地の人に一刻も早く救援物資の届くことを願い、何も出来ぬ自分の無力感をすまなく思っているときに、怒ることがどれほどの意味があるのか知っているからだ。自分の変わりに救助に携わっているみんながんばっていることがわかるからだ。画面に見えなくたって少しの想像力でわかる。電力では関係のない北海道で節電している人が多くいることでわかる。
 昨年のチリ鉱山での落盤事故で地下数百Mに閉じこめられた人たちが最も嬉しかったのは何だろう。それは、地上の人たちが自分たちを救うために一生懸命頑張っていることを知ったときだろうと思う。それがあの地底で命を長らえさせた力を生み出し続けた最大のものだと思う。地上と地底をつないだ一本のパイプ。自治体の長ならば、そのパイプにならなければならないだろう。情報の乏しい被災者の目となり耳となってそれを伝えなければならないだろう。救助隊の思いや活動を遮っているのは想定外の物理的障害なのだ。それを貫くのは人間の意志とか希望とか夢しかない。「救助が一歩一歩近づいています。頑張ってくれてます。みんなでもう少し頑張りましょう」と。
 東電に対する怒り、政府への怒り、天罰などと言う者への怒り…。みんな我慢しているのである。
 もしかしたら怒るパフォーマンスが自治体首長の間で流行しているのかもしれない。