中華会館百周年記念シンポジュウム

 「函館中華会館100周年記念シンポジュウム」に参加してきた。
 中華会館の中の関帝壇、書、画、工芸品など説明を受けながらじっくり見ることができた。百年前の建設時ほとんどの祭具や調度品、芸術品を本国から持ってきたというがさすが漢字の国、扁額や書の見事さには感心させられた。中でも、左奥の部屋の漆塗りの壁は見事だった。漆塗りの板に1mmに満たない薄さで漢文が彫られている。彫りに浅深がないので目立たないがよく見るとその彫りの見事さや仕上げの細やかさ、漆の巧みさが圧倒的である。そしてそれらの技が素晴らしい書を源に発揮されていることに気づかされる。部屋に入ってすぐ、何気ない壁である。
 説明はガイド的な話で、もう少し深みが欲しかったし、その後の中華山荘見学も同様で物足りなかった。函館にこれほど関帝廟が建てられた訳やそれを支えた財力や意志、特に中国の人の口から「関羽」を神とする心情を聞きたかったのでその意味でも消化不良だった。
 舟見町の外人墓地の一画にある中華山荘を見学させて貰った。中国では山荘は墓所の意味を持つそうである。埋葬の方法の違いや日本の法律、習慣との軋轢など多くの問題もあったろうが、海峡を見下ろす中華山荘は静かだった。
 四基ほど日本式の磨かれた石造りの墓があった。どれも立派なものだったが少ない。百年は国籍だけだなく、葬られ方も純化させてしまうのかもしれない。何気なく踏み込んだ芝生の下は子どもが埋葬されているという。あわてて通路に戻る。幼児は親より先に死んだと言うことで、親の墓とは別に葬られるという。親はその子の葬儀にも顔を出さないのだそうだ。土饅頭の下に朽ちた50cmばかりの木片を立てられただけで眠っているという。
 外人墓地は海が似合う。海は母国に繋がるからだろう。周りは赤煉瓦の壁で国境の趣もあるが、門扉は鉄の格子で海が見える。その格子の間を通して船が海峡に出て行く。