野外劇

 野外劇を見なければ…と思っていた。気候も良いようだし出かけた。
 野外劇20数年の歴史があるのに2回目である。15年ほど前に、我が家にアメリカ娘がホームステイしたときに家族で見ている。その時は五稜郭を使うこと、市民の手作りと言うこと、日本に例が少ないことで誇らしげにそのアメリカ娘、ケイティさんに説明したのを覚えている。その時は、五稜郭にまつわる歴史物語をほほえましい素人演技で一生懸命演じてくれていた。市民として応援したくなるような野外劇だったように記憶している。外国の文明の入り口でもあった函館の特徴である「異国情緒」の匂いもする函館の新しい文化になる息吹が感じられた。自分ならどんな形で参加できるだろうかと考えたことさえある。その頃は現職だったし国際交流でのお手伝いに留めさせて貰ったが…。
 一時は低調だったけれど最近また観客が戻りつつあると聞いて楽しみにして座席に腰を下ろした。
 正直がっかりした。バラバラのものをバラバラのまま見せられたのである。レーザー光線を操る人がいる。火を演出出来る人がいる。濠に船を走らせることが出来、ヨサコイの上手なグループがいて、バレエのプロがいる。函館は歴史もあり、人口からいってもそういう優れた人材が沢山居るのは当然である。その人たちがなぜか勝手に登場場面を設定して出演しているに過ぎないように見えた。そのぶつ切りのそれぞれに拍手や歓声はあるものの野外劇が持っている市民が自ら作り上げたという感動や函館らしさは感じられなかった。
 バラバラのものをつないだのは、ナレーションというより全編を通しての説明である。時間一杯の言葉の量で表現の工夫や間も取れなかったのだろう。甲高く早口で終始していた。前回見たときよりも水上や公園内外をつなぐなど場所は大きく広く使われ、仕掛けも大がかりになっていた。「国内最大規模」「歴史スペクタクル」それが良いことなのかどうかも気になった。
 今回のコンセプトは開港150周年だったのだろう。そのために出来事の羅列に追われ、ある意味演出は放棄せざるを得なかったのかもしれない。物語を開いたかわいいコロポックルはこの物語を閉じなかった。今まで見守ってきたコロポックルはこれからの函館を見てくれるのだろうか。フィナーレ、客席の前に出てきたコロポックルたちは無心にペンライトを振っていたけれど…。
 函館に来た観光客にパンフレットを渡し、それを無理矢理読み聞かせただけのような後味がした。全くの邪推だが、行政の口出しが大きすぎたのかなーなどとも感じた。