杵柄

 今日印刷所に校了した原稿を置いてきた。全部校了したわけではないがもう締め切りが過ぎているので出来上がった分だけでも仕事を進めてもらうことにした。その中に私が担当したグラビア10頁も入っている。
 高校時代この「青雲時報」という新聞を作っているとき私がもっとも好きだった仕事は、「整理」で、内容としては紙面上に記事をどの位置にどう流すかや写真の位置や大きさを考え、見出しやリード文の有無、写真説明を考えたり、時にはスペースに合わせて人の書いた記事を削ったり、書き加えたりすることだった。編集用語で割付と言っていた。今風に言えばレイアウトデザインである。
 印刷所とのコミュニケ^−ションには当然専門の用語や技術があった。先輩から写真の縮小、拡大の技術、記事の流し方の鉄則、凸版印刷の原理を教えてもらい夢中になってやっていた。家に帰ってからも「凸見」といっていたコラムなどのタイトルを作ったりした。こんなに楽しい仕事があるのかと思うほど自分に向いている分野だった。
 今回のグラビアも前回同様紙面全部を写真で埋めて、高校生の若さや熱気を伝えることを第一のコンセプトにした。グラビア印刷向きのシャープな写真は少ない。構成で見せようと、余白を少なくして縮小拡大トリミングを駆使して割り付けた。第一稿をみんなに見せた段階でカラーにしようということになった。スミと白抜きだけだった見出しに色を考えやっと出来上がった。
 今日印刷所に持っていった。私は、10頁文の割り付けとパージごとに封筒に入れた写真と凸見、そしてメールで送られてきた顔写真のデータの入っているUSBメモリーを渡した。説明をするとかすかに頷いてはくれるが、反応は薄い。そこで気が付いた。私の編集割り付け技術は50年前の高校生から高校生へ引き継がれたものだ。50年も過ぎている。ましてやコンピューター時代である。私がふるった50年前の杵柄はコンピューターの前で意味のない仕事をしたような気になった。印刷所の技術担当の人は何も言わずに受け取ってくれた。私はあわてて「昔のやり方で割り付けしています。分からないところが合ったらこちらのやり方でやって下さい。そして何かありましたら…」と電話番号をメモしてもらった。
 割り付け原稿が私の手元を離れた。印刷所を出るとき急にできあがりが心配になってきた。