46協定破棄

 給与の改善を図るために、そして戦前の教育へ右傾化の止まない教育行政の振り子を民主教育の位置に戻すためになどのスローガンを掲げ、毎年ストライキを背景に教員が闘っていた時代がある。いや、働く人がいろんな職場で闘っていた時代でもあった。闘う姿勢が無ければ自分たちの勤労意欲や生活は守れなかったから。
 その戦いで勝ち取った一つが46協定だった。時間外勤務手当がない教職員を無制限、無定量の時間外勤務から守るための協定であった。一方で、先生聖職論があり、「子どものために日曜日PTA行事にでるのは当たり前」「夜の家庭訪問を先生が拒否するのはおかしい」と言われた時代である。無制限、無定量に休日や自分や自分の家族との時間を侵害されることからは守られることは当然だと思う。だからといって、時間外の勤務を全く拒否したわけではない。私はほとんどの休日のPTA行事に参加してきたし、どうしても必要であれば時間外の家庭訪問もしてきた。だからといって寝小便の心配のある子のために夜、親から言われた時間に起こして歩いた宿泊研修の翌日は、体を休ませる回復措置は権利として確保しておかなければならない。校長先生の恩情などでで認められるべき問題ではない。46協定はそういうことを話し合うよりどころだった。
 今、先生方は勤務時間外に膨大な仕事をこなしている。子どもがいる間はこどもの指導に当てられ、放課後、勤務時間が終了するまでの残された2時間(休憩休息もとれない)は校務やそのための会議などにとられる。結局もっとも主要で大切な翌日の授業のための教材研究は、勤務時間外に行われている。学校に残ってやっている人もいれば家に持ち帰ってやる人もいる。遅くまで学校に残っている先生に「無理しないでかえって下さい」という校長や教頭もいる。その先生が家に帰ってもまた明日の準備のための仕事をするのはわかっているのに…。そうしなければ自分も帰られないから言うだけだ。
 道教委が46協定破棄通告に付け加えて「教員の多忙化についてはその実態の把握に努め、仕事量の軽減などを図っていきたい」と言っている。うわべで「無理しないで帰って下さい」という管理職の言に限りなく似ている。きっと何もしないしできない。今行政がとるべき最善は46協定を残しておくことだ。