風のガーデン

 「風のガーデン」が昨日で終わった。久しぶりに最初から最後まで見応えのある作品だった。近頃はドラマをほとんど見なかった。背景のない言葉、絶叫型の台詞、目だけが強調される演技…何よりテーマが恋愛、熱血主導で年寄りは見なくていいと言わんばかりのドラマばかりだからだ。だからといって「風のガーデン」が今風のドラマと違うというだけで見たのとは違う。決して年寄り向きだというのではない。
 ターシャテューダの庭を受け継いだ家族が「私は庭を受け継いだだけでなく、ターシャの哲学を受け継いでいる」と言っていた。風のガーデンはまさに「哲学」が底に流れていて、知らず知らずのうちにそれを考えさせられるべく構成されていたからである。それも非常にわかりやすい設定で…。だから引きずり込まれたのである。
 最先端医療機器満載のキャンピングカーが置かれていたのは富良野大自然の中だった…。機械につながれて生き続けるか、寿命としての死を迎えるか…。指で便をほじくり出してくれる娘に「夕日のガンメン」の駄洒落は介護される者の精一杯の優しさだったし、病気と闘う意思表示でもあった。死後の世界は自ら生前に準備できることがあるのかも…。男女間の愛と家族、肉親愛…。
 市場原理、競争原理、ブーム、主義主張はあふれているが、「哲学」不在である。そんな今に倉本さんは哲学を易しく誰にでもわかる言葉で語ってくれた。美しい映像を添えて…。いや、もしかしたら「哲学」はすごくわかりやすくて簡単な言葉なのかもしれない。それを深く伝えるためにドラマ化し、映像化するために苦心されたのかもしれない。
 私のエゾエンゴサクは…。