七輪

 急に思い立って秋刀魚が食べたくなった。こんなことを思い立った脈絡はこうだ。冷蔵庫を開けたら先日娘が帰ってきたときの焼き鳥が残っているのを見つけた。早く食べなきゃぁ…ガスレンジでは一度に焼けない量だ…けれどバーベキュウ用のコンロに火を熾すのは大げさだ…そういえば七輪がある…七輪といえば秋刀魚だ…。
 頭の中には七輪の上で煙と匂いと時々炎があがる映像が浮かんできてしまったのである。精肉の焼き鳥はどこかへ行ってしまった。早速スーパーで秋刀魚を買ってきた。奥さんは「またぁ」とか言いながらも夕方のウッドデッキでの七輪バーベキューに付き合ってくれる気になったらしい。
 七輪を出した。この七輪も店先で見たとき秋刀魚を焼くことをイメージして衝動的に買ったが、バーベキューの補助として帆立を焼くために一回しか使っていない。
 「いよいよお前は本来の役目を果たすのだぞ」と言い聞かせるように、絞った新聞紙の上に細かに割った焚き付けを入れて砕いた小さな炭を置いた。七輪に火を熾すだけだけどなぜこんなにスムースにできるんだろうと思ったとたん私は小学校5年生にタイムスリップしていた。
 その頃我が家の夏の調理用コンロは石油こんろと呼ばれていたものだった。母が入院した。食事の用意は祖母がやってくれることになった。父から「お前たちもできることは何でも手伝え」と言われた。遊びが減らされるという思いの反面、「やれることはやらなきゃ」とも思った。
 祖母は、この石油コンロが苦手だった。ストーブが無い夏場、七輪の出番が多くなり、その火熾しは私のしごとになった。長兄は高校生、次兄は中学生で共に部活で夕方家に居られるのは私だけだった。それまでも煙の出る焼き魚のときは七輪が使われていたが、母や祖母がやっていた。最初は見よう見真似でやったがなかなかうまくかなかった。最初の紙が焚き付けを燃やす前に燃え尽きてしまったり、焚き付けが太すぎたり、湿っていたり、形式や順序はその通りでも、紙や焚き付けの意味、団扇を使う意味が小学5年生にわかっていなかったのだろう。遊べない不満もあって身が入っていなかったのかも知れない。「煙が入るから風向き考えて」などといわれると「なんで俺が」と思った記憶もある。雨のときは自分も七輪も雨に当たらないように傘をさして煙に咳き込み涙を流したことも思い出す。長兄はアルバイトしていたし、次兄は夕食後の食器洗いなどをしてふさわしい手伝いをしていたにもかかわらず、我が家における母の入院の意味もわかっていなかったのかもしれない。母が退院して火熾しはしなくてもよくなった。そのうち七輪も目にしなくなった。
 私には七輪の火熾しが上手になったという記憶が無い。しかし、今スムースに火が熾きるのは年をとって理屈がわかってやっているせいかもしれないし、秋刀魚が食べたいという前向きな姿勢がそうさせているのかもしれない。
 ウッドデッキに用意ができた。炭の下部が火色に輝いてちょうどいい頃の七輪を据え、秋刀魚を乗せた。ほどなく油が火に落ち、秋刀魚が炎に包まれる。匂いがたまらない。焦げた背中に箸を入れ骨から外した半身に醤油をかけた大根おろしをたっぷり載せてかぶりつく。秋刀魚は七輪で焼くに限る。きっかけになった焼き鳥は後回しだ。