「せいうん」(1)

 今日の準備会は縮刷版発行に対し支援が決定されそうな函館東高校青雲同窓会の総会への対応と、準備会から正式に刊行委員会として立ち上げる、いわば発会式についてである。しかし、私はその話そっちのけで会の代表であり、精神的な支柱であるIwa氏がもってきてくれた、30年前100号記念に発行した縮刷版編集時の資料を読んでいた。そのときはカンパを募っての発行だったのでその方たちへの進行状況を伝える目的だったような気がするが、私の手による西洋紙ガリ版刷りのちらしのようなものである。
 しかし、その文章は生き生きしているし、一枚の原紙のガリ切りに相当な時間がかかった時代、面をすり出すための「つぶし」などという技法まで駆使して具体化から発刊までの一年間で10号も発行している。34歳、結婚できずにいた独身時代最後の花火のようなものだったかもしれない。
 100号記念とはいえ、22号分の欠落の捜索から始めた編集作業だった。お金も無かった。カンパに頼り、編集しながら予約販売の形をとっていた。今考えるとよくやれたと思う。私も当時勤務していた椴法華からよく通えたものだと思う。縮刷印刷できる印刷会社は札幌にしかなかった。夫々の仕事の合い間を縫って札幌まで行ったり吹雪かれて明日の勤務に間に合うかどうかはらはらしたり、いわゆる顎足自分持ちで楽しくて楽しくての毎日だったことがその文面から思い出される。30歳を越えて「せいうん」の野に遊ぶ心持だったのである。