田澤の蕎麦

 昨夜鍛神美食の会で田澤を訪れた。前回は今年一月二十日だったから九ヶ月ぶりになる。鍛神現職の3人は軍資金を毎月積み立てているし、私は、退職して数が極端に少なくなった飲み会の分だと思って美味しさを堪能するために少し奮発する。そして「田澤の天ぷら」になる。
 どれも美味しいのだが、初めての味がいくつかあった。
 お造は酢で締めてから焙ったと言う鯖である。「あまい」としか言いようの無い、そして確かにしめ鯖の食感が残っている絶品である。生ビールの途中だったので残念だったが、酒で味わいたかった。
 蛸の天ぷらは、すっきり歯で噛み切れるほどやわらかくなっている。やわらかいことが良いわけはないだろうが、イカや蛸の天ぷらのほとんどが、噛み切れずに衣からだらしなく脱げてしまうことが多いのに、口に程よく噛み切れてその分蛸をしっかり味わうことができるのである。
 ブロッコリーの葉先が焦げている。その焦げの香ばしさがほくほくっとしたブロッコリーの美味しさに加味される。
 サプライズとして真ん丸の天ぷらが敷き紙の上に置かれた。カウンターの上を今にも転がりだしそうに丸い。箸でつままれて置かれた。丸いものを箸で挟み取るのは美しい。目の前に置いて眺めてもわからない。店主の「なんだと思います?」に答えられないまま口に入れる。甘い。ん?。果物?葡萄だ。真っ二つに噛み切っているので種のある部分を食べているはずなのに葡萄特有のすっぱみがまったく無い。葡萄では味わったことの無い温かさが甘さだけを際立たせる。隣の女性客がホットワインみたいと言っていた。飲んだことが無いのでわからないが、これも始めての味わいだった。
 田澤は、いつもわくわくしながら口では美味しさを堪能し続けて時間が過ぎる。それは、私たちの目の前では衣を付け、揚げるだけの調理器具や調理動作しかないが、下ごしらえの周到さや緻密な味の仕組みがあの暖簾の向こうにあり、私たちが来店する前に用意されているからだろう。それも、質の高いプロの技で…。
 最後にきりっと打たれた美味しい蕎麦が食べられる。この蕎麦が、食べたかったら食べてという裏メニューなのだからすごい。食べながらまたいつこれるだろうと考えてしまう。
 
 夜中喉が渇いて眼を覚ました。そうだ、あの水を飲むのを忘れてきた。自分の膳に用意されていた水のグラスが眼に浮かんだ。