コンサドーレ応援

 年に一度の函館開催のコンサドーレホームゲームを見に行った。毎年見ている。毎年同じアウェイ側SA席のそれもゴールラインの延長線上に座る。周りには赤と黒の縦縞レプリカユニフォームで応援者を自己主張している人たちがたくさんいる。若者や子どもだけではない。高齢のそれも女性が多いことに驚く。女性は、普段着ないものでも、その場にふさわしいと思えば着てしまえるようだ。男の場合それには多少の勇気がいるようだ。その多少の勇気を発揮している人ももちろんいる。赤黒の縦縞で壁を作るように座っている家族もいる。今夜この家族は、今日のサッカーで話は尽きないだろう。ホーム側のゴール後ろは黒が退いて赤一色のサポーターが一人ひとりのプレイヤー別の応援を繰り返している。お腹の底から声を出している爽快感が伝わってくる。すごい時代になったものだとつくづく思う。
 先日、七飯トルナーレで行われた全道高校選手権大会を見に行った。選手の家族や友達が中心だろうがたくさんの観客応援がコートを取り囲んでいた。いいプレーには拍手が起き、笛が鳴り、歌が歌われて選手を鼓舞している。当然どこかに誰かのガールフレンドだっているはずだ。中でも、お母さんたちの声や身振りが誰はばかることない。すごい時代になったものだと感じた。
 私は昔からのサッカーファンである。体力に不安を感じて途中でやめたが中学時代は部活でボール磨きくらいはやったし、函館でサッカーの大会があるとほとんど観戦していた。その頃はサッカーの大会と言っても国体や高体連の函館地区予選や数年に一度の道大会がある程度だったし、たまに実業団の同様の大会があるくらいだった。しかし、それらの試合のほとんどが函館東高校のグランドで行われたため、自転車でふらっと出かければ見ることができた。終日見ていたこともあった。私の兄が函館東高校時代からサッカーをやっていてその先輩後輩をなんとなく身近に感じられたせいもある。
 しかし、その頃コートの周りには見ている人は誰もいなかった。家族もいなかった。女性の姿はほとんど見かけなかった。女子のマネージャーの時代にもなっていなかった。国体か高体連の決勝で、函館東と北海が素晴らしい試合をしたときも観客はほとんどいなかった。私はゴール裏から、函館東の黄色に紺パンツと北海の白に黒パンツの激しく動く様を見ていた。誰もいなかった。私が乗ってきた自転車があるだけだった。
 このギャップを埋めたものは何だろうと考える。ただ単に時間ではない。
 サッカーのプロを作りたい。日本をワールドカップに出場させたい。という願いはこの頃すでに聞いていた。そして、サッカーを盛んにするにはサッカーを指導できる教師を育てなければということで、ボランティア(その頃そんな言葉も無かった)で先生の卵やそれ以前の若者を指導していた人、小学校教師になり、少年団を作り自分のお金でワゴン車を買い、家族でなく少年団の子どもを乗せて試合数を増やした人たちをたくさん知っている。「すごい時代」は種を蒔き、水を遣り、育てる人がいて40年という時間が必要だったのだと思う。
 年老いたその人たちは、この競技場の座席の下で今日の運営を手伝っているに違いない。手弁当で…。
 前半ロスタイム、コンサドーレコーナーキックから鮮やかなヘディングで得点した。私も赤黒の人も両手を上げ声をあげた。後半開始早々、ボテボテのこぼれたようなシュートで同点にされた。みんながため息をついた。「来年は浦和レッズとやらなければならねぇんだぞ。コンサドーレっ」