鷲の木・環状列石

takasare2007-08-26

 高速道路工事のため、3年間見られなくなるというので森町主催の鷲の木・環状列石見学会に参加させてもらった。役場前から乗せてもらったが、バス2台で3往復目というから結構な人気だし、森町の同遺跡に対する熱意が伺える。年寄りが多かったが、若い人もいたし、子どもを連れた家族参加もあった。
 国道、鷲の木のトンネル手前を左に曲がり、幅一車線の砂利道を登っていく。普通車なら5分ほどの道のりを小型バスはゆっくり大きく車体を揺らしながら約十分かけて走った。途中一箇所開けた所があって、牛舎風の廃屋が残っていた。
 残暑が照りつけ、バス自身があげた土ぼこりの中にバスが止まった。そこには先行の見学者が待っている。降り立ってそこが遺跡のすぐ近くで遺跡全体が思ったほど大きくないことに気づいた。何より、遺跡のほとんどが風雨から保護するために銀色の土嚢で覆われていることに驚いた。皮肉っぽく言わせて貰えば、環状列石では無くて、環状列土嚢である。ただ、遺石や遺物が無かった所は当時の地面や列石がが露出しているので、それらをつなぎ合わせおおよそのイメージは持つことができた。
 2台目のバスを待ってボランティアガイドの説明が始められた。説明は、直径37Mのストーンサークルを前に行われた。暑い日差しの中、移動することも無く耳はガイドに預け、目は銀色の土嚢の並びを見ているだけである。ガイドの説明は非常にわかりやすく歴史、意味、他遺跡との比較をわかっていることと確かめられていないことなどが整理されていた。しかし、暑さのせいか私の聞こうとする集中力は途切れがちになり、ついには一つの考えにとらわれてガイドの話は耳に届かなくなった。
 遺跡の八雲側も大沼側も切通し状に掘り下げられている。簡単に言えば、大きな溝が南北方向に掘られ、その流れをせき止めるダムのような形で環状列石のある土地が残されているのである。古代縄文人の祭儀の場として選んだわずか50m四方の土地と、現代の一つの象徴である一本の高速道路幅50Mが1万年後の今、奪い合う形で一致しているのである。この遺跡のために、微調整された結果なのかもしれないが…。古代では遺跡の中心軸の延長線上に羊蹄山の秀峰を仰ぎ、その中央の真東にこれまた白雲たなびかせる駒ケ岳を見る位置に死者を祭り、祈り、あがめる場であったらしい。現代では神器「車」の神器たる威力を発揮するための道路としてそこを通りたかった。それが一致してしまう不思議さにとらわれてしまったのである。どちらも地形に従ったとすれば、1万年経とうが人間は自然から受ける制約を克服していないということなのだろう。
 現代が1万年間文明を積み重ねてきたというならば、この祈りの場をそのまま残してその下をトンネルで通過させてもらうくらいはやって当たり前かも知れない。それにしても真下を夜も昼もゴーゴーと車が走り交わすのでは祈りの場としては落ち着かないだろう。私としては、この遺跡を避ける迂回路を作り、そこを走るドライバーに「今あなたは1万年前の祈りの場を迂回しています」と知らせてやるくらいの余裕を現代人は持つべきだと思った。
 いつの間にか私たちを送るバスが来ていた。私の真昼の夢は終わった。