矢越岳 満足

takasare2007-05-22

 廃校となった矢越小学校を目当てに浜道路から沢伝いに細い道路に車をを登らせた。対向車を交わせない狭さだ。学校はあったが登山口は見つからない。さらに奥に進み、見当だけで登り始めたがどうも違うらしい。結局、学校の玄関に入山届けのノートがあり、そこにおかれた地図で、校舎のすぐそばにある自然観察路が登山口らしい。自然観察路の案内板があったが、矢越岳に繋がる表記は一切無かった。学校に入山届けのノートがあることも見つけられなかったらまだ時間を費やしていたかもしれない。見つけられずに帰った人もいたかもしれない。30分遅れで登り始めた。
 自然観察路から右にそれる階段を登るとそこからは親切すぎるくらいにピンクのテープがルートを示してくれる。急登が続く。急登の苦しさを救ってくれるのは登山道に咲く花である。きれいだとかかわいいとかだけではない。Kuさんの植物学的研究心を満足させてくれるからである。Yaさんの植物学的好奇心を刺激してくれるからである。そこで、写真を撮り、話にも花を咲かせ私は息を整え救われる。
 300M登り50Mほど降りた。再び登り返しが始まる。ちいさなジグをきっているが、道は谷に傾斜しているか、直登しているかのくりかえしですぐ息が切れる。偏平足の足は、急斜面をホールドできずすぐ滑る。また体力をロスする。のどが乾く。300Mの登りでようやく矢越岳の頂上に着いた。今日は、稜線伝いに知内丸山まで行く予定だったが出発で遅れたことととちゅうの花撮影が時間を食っていた。Yaさんが「丸山までは少し無理かな」と言うと、Knさんが「今日はここでいい」と言い出した。私もすぐ賛成した。
 この山がはじめてのYaさんは登りたかったろうが、我々の疲労の度合いからリーダーとしてあきらめたのかもしれない。Kuさんは、あまり入ったことのないこの地域で二種の植物の発見に満足している。私は何に満足して「ここで止めてもいい」と思っているのだろう。私にはピークにこだわる気持ちが無い。引き返す、止めると決まればそれはそれでいい。どうやら、私は歩ければいいようなのだ。目的地にいけたかどうかよりも、ある時間歩くことできれば満足できるようだ。自己満足という小さな価値の満足かも知れない。
   緑陰のぶなの樹肌や頬つけて   未曉
 しいて言えば、美しいぶなの木を見られたこと、帰りに筍スティックと筍ご飯一回分の筍が採れたことで十分満足できた。