山眠る(大川射撃場尾根)

takasare2007-01-24

 今年の歩き初めは大川射撃場辺りから蒜沢に降り、二列目の送電線下を再び登って車をデポした道に戻るという3時間半の山麓歩きになった。
 俳句では冬の山の静的な様子を「山眠る」と表現します。ちなみに春は「山笑う」秋を「山粧う」と歳時記には載っています。夏の季語にはこの表現と併記できるものは見当たりません。きっと春秋冬の山が、里から客観的に眺める山なのに比して、夏の山は、そこに生きる動物も植物も、人間の生活そのものも直接的に触れることが出来る存在だからだと思います。
 冬の山を遠望し少し具体的に想像したとしても、花はあろうはずが無く、葉は落ち、針葉樹の緑も黒ずみ、裸木は氷に覆われ寒風が遊ぶだけの世界でしかありません。山の主人公熊は眠り、せいぜい腹をすかした鹿や小さな獣が雪にまぎれて動き回るだけ…。まさしく眠っている世界にしか思えません。人との関わりから見ても、冬の山=冬山は限られたスペシャリストの世界であり、同時に死と隣合わせの世界でした。つい最近までは…。
 5年前頃から5〜600m辺りの冬の山麓歩きを楽しむようになって、冬の山がとても賑やかなことに驚かされたました。歩く人はもちろん、歩くスキー、山スキースノーモービルスノーシューと多種多能な楽しみ方で山麓は大賑わいなのです。スノーモービルが雪原を縦横に走り、林道を最奥まで貫きます。そのスノーモービルの踏み固めたトレースを長靴が歩いています。突然林間からスキーのシュプールが現れてきたりします。きっと土曜日曜日になれば山はとても寝てなどいられないと思います。
 大川射撃場の尾根道が次第に細くなり、倒木でふさがれたところまで歩き、烏帽子と袴腰岳の絶景を見ました。冬のいいところは葉が落ちているので、夏味わえない景色が見られることです。もちろん景色は白銀に彩られていますから空が青いとそれだけでしばらく眺めていられるのです。射撃場のベンチを勝手に借りて昼食をとり降り始めました。少し下った所で、地形や林道のありようが頭に入っているYaさんが突然林に入り込みます。雪に20センチくらい埋まり込むけれどそれ以上はスノーシューが支えてくれます。誰も歩いていない雪の上をどかどか歩きます。子どもに返ったような楽しい気分で歩きます。緩やかな斜面をどかどか下ります。楽しくてどこまでも歩いてゆけそうな気になります。庄司山が目の前に迫ってきます。こうして、私もスノーシュウーで冬の山の眠りを妨げている一人になっています。
 でも、車の所に戻って、歩き回った山を振り返ると山はやっぱり眠っています。人間が少し動き回ったくらいではびくともしないようです。下から見るとそうとしか表現できないくらい山は静かです。
 今の時代まで見越してこの言葉があるのなら昔の人の造語センスを賞賛するしかないと思うのです。