日曜弁当

takasare2006-02-26

 普通昼食は自分で用意して食べる。土曜日や夏冬休みなどで、奥さんがいる時も私が作ることが多い。
 しかし、日曜日になると弁当が昼食になる。うちの奥さんが絵の教室に行く日である。奥さんもはじめのうちはコンビに弁当を持って行っていたが、それにも飽きて簡単残り物弁当を持っていくようになった。我が家自慢の「椴法華手打ち海苔」を使った二段海苔弁当である。どうも、弁当を作る背景にはこの海苔を食べたいという気持ちも少なからずあると思っている。自分の分を作るついでに私の分も作ってくれる。
 金色のアルマイトの土方弁当箱に麦飯が詰まった中学〜高校時代の弁当。魚肉ソーセージと漬物だけの時もあった。食い盛りの男の子三人の弁当を毎日用意した母親は大変だったろうと今になって痛切に思う。新卒時代、給食のない学校だったので、用務員さんの奥さんに月5000円で作ってもらった弁当。その子が私のクラスにいて、昼になると、母親からその子へ、その子から私へ届けられた。その子のおかずとは内容が違っていた。その奥さんも違う意味で大変だったろうと思う。
 道南に来て給食があり、勤務はあるけれど給食がない日などは、出前を取ったり、街に出て中華だ○○定食だイタメシだと朝から決めてはしゃいでいたときもあった。近頃、多くの先生たちがカップラーメンにお湯を注いで済ませるようになってから、そんな日は弁当を用意することが多くなった。自慢の「椴法華手打ち海苔」の出現があり、そのうまさに惹かれてでもある。
 私の場合、弁当はノスタルジーにつながる。きっと三十年もの間、学校給食で昼を満たしてきたからだろうと思うし、それ以前の弁当は、直接人につながってしまうからであろう。
 弁当の持つ空間には、特別な「気」が流れているように思う。きちんと椅子をひいて、ひざをそろえてしまいそうになる。時間的に束縛もなく、誰もいない無職男の昼めしなのに早飯も考えずに12時に食べようとする。あの時との違いは、周りにクラスメートがいないことであり、周りにクラスの子どもたちの笑顔がないことだ。寂しいのではない。懐かしいのだ。奥さんが作ってくれる日曜弁当は、無職男の日曜日ゆえに「懐かしさ」も食えるのである。