煮凝り

煮凝りや馬鹿は死ななきゃなおらねぇ   未曉

 父が酔っ払って周りを困らせ始める兆しの台詞だった。台詞と言うより浪花節の一節である。たしか、広沢虎造という浪曲師が得意としていた「森の石松」の一節だと記憶している。「露助のやつ」とか「カンチャイ」などと言う言葉もブレーキがきかなくなってからの言葉だ。終戦間際に召集されそのままシベリア抑留、その間の苦しい労働や寒さ、ひもじさからそれまでやらなかった酒を覚え、タバコを覚えてしまったそうだ。

やっとの思いで生還したら、終戦樺太に侵攻してきたロシア兵の固い軍靴によって六年生だった長男は蹴り殺されて小さな骨になって先に引き揚げていた。

 函館に来て、生活が落ち着いても酒、タバコは止めなかった。自分も酒を飲むようになった今だからわかるけれど、父は酒は決して強くなかった。深酒のたびに夜中ゲーゲーやっていた。それでも酒は飲み続けた。そして誰ともわからない者に向かって「馬鹿は死ななきゃ~」と唸っていた。

 父は煮凝りで飲むのが好きだった。冷蔵庫がなかった頃母はわざわざ作っていたのかもしれない。